長泉寺の沿革
明応4年(1495年)南北朝の頃、後醍醐天皇(南朝方大覚寺統)の落人として、吉野宮より当寺南方の地、滝之沢に土着した嶋田越後守藤原忠経。その菩提を弔うために子孫である大嶋民部が開基した五七桐を寺紋とする寺院である。現在は真言宗智山派に属している。本尊は藤原忠経の念持仏「阿弥陀如来座像」、後背に忠経愛用の鏡を背負っているところから背鏡弥陀如来と呼ばれ、下野國特別霊場となっている。秘仏であるため住職の晋山、若しくは特別法要等以外はご開帳されない。現住でも2回ほどである。